2017-07-30

反人生的領土 小津夜景

反人生的領土

小津夜景


金原まさ子については、二回ほど文章を書いたことがある。ひとつは「ヘテロトピアとその悲しみ 金原まさ子『カルナヴァル』を読む」で、もうひとつは「バッド・ガールへの道のり(ミート・ローフを食べながら)」というもの。

上記の文章では言及しなかった金原作品の面白さに、煩悩の光景から〈社会性〉を連想させる事象が入念に取り除かれている、といった特徴がある。この〈社会性〉の欠如はすなわち〈義〉の不在を意味してもいるのだが、そのことによって肝心の煩悩があたかも無疵なままのきらめきを放っている様子はきわめて見事だ。

金原作品におけるひとつの達成とおぼしきこうした〈煩悩の救済〉は、本人の明るく逞しいストイシズムに支えられるところが大きい。どんな人間にも告白を憚る(或いはひとたび告白してしまえば、あまりに凡庸かつ物語的な)生々しい人生がある。そして彼女もまた、そんな有限的日常から、彼女自身の精神の広がりを示す〈反人生的領土〉を言葉によって守り抜いた禁欲的夢想家だったにちがいない。



ところで最近、まさ子さんの人柄を偲ぶにふさわしいと思われる出来事があった。

話は私事になるが、今年6月、ひょんなことから「夜景さんの『フラワーズ・カンフー』の出版ならびに田中裕明賞受賞を祝う会をやりましょう」と言う方々が現れた。ついては案内状の送り先を大まかに相談したいとの連絡を受け、わたしは「失礼でなければ、金原まさ子さんに」とお願いした。

返信は早かった。曰く「106歳の体調により欠席。残念。当日は花束をお届け。よろしく」うんぬん。

しかしその半月後、まさ子さんは帰らぬ人となった。

そこからさらに半月が経過した頃、「祝う会」の幹事のもとへ一枚の葉書が舞い込んだ。差出人はまさ子さんのご息女の植田住代さん。文面にはまさ子さんの逝去の報、生前のまさ子さんが日頃仰っていたという小津への過分なる称賛などが綴られ、さいごは、母にかわりまして娘の私がお花をお送りしたく存じます、と結ばれていた。

おかげさまで「祝う会」は盛況だった。会場中央のカウンターに置かれた花は皆に心から喜ばれ、またそれぞれの感慨をもって眺められたことと思う。祝宴の後日、まさ子さんのブログの管理人でいらした小久保佳世子さんからメールを頂戴したので、その一部を紹介したい(転載はご本人による了承済)。

娘さんの住代さんによると、フラ・カンのパーティのお知らせは金原さんにも届き、参加は無理でも「お祝いのお花を、お花をお贈りしたい!」と強く言われていたので、お知らせが届いたころ早くからお孫さんの佳代子さんのお友達の花アレンジを予約されていたそうです。

いかにも金原さんらしいご配慮で、パーティには金原さんがお花になって参加されていると思ったのでした。

(……)ぎりぎりまで小津さんの受賞をお祝いし、お花のプレゼントを用意される金原さんは、正に

春暁の母たち乳をふるまうよ  まさ子

そのままですね。

祝宴の夜、2次会を終えて神楽坂の宿に戻ったわたしは、リビングのテーブルの上をきれいに片づけ、そこに頂戴した花籠を置いた。

まさ子さんから贈られることとなった、おそらく最後であろう祝いの花。眺めれば眺めるほどご本人の要望が伝わってくる、とてもチャーミングなアレンジメント。

さまざまな赤のひしめく、襞と闇とをたっぷり含んだその造形の素晴らしさに、わたしはあらためて目をみはった。そして、まさ子さんがわたし自身にとってかけがえのない作家であったことに、この時ようやく思い至ったのだった。



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